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米国の金融政策が世界の株価・為替に与える影響

米国の金融政策は、米国の株式市場にとどまらず、他の先進国株式や新興国の株式、通貨に大きな影響を与えます。バーナンキ・ショックと世界金融危機(リーマン・ショック)などを振り返り、為替・株式市場に与えた影響も解説します。

著者 forex.com
2024年2月14日 午後16:59

目次

米国の金融政策は、米国の株式市場にとどまらず、他の先進国株式や新興国の株式、通貨に大きな影響を与えます。FRBの金融緩和時期には、リスクオン相場となり、より高い利回り、キャピタルゲイン狙いの投機が芽生えてきます。新興国の株式やソブリン債券、ひいては通貨も上昇傾向になります。しかし、FRBが金融引き締めに転ずると、こうした資金の流れは一気に逆転現象を起こしてきました。 2013年のバーナンキ・ショックや世界金融危機などはそうした逆転現象が起こった例です。ここでは、バーナンキ・ショックと世界金融危機(リーマン・ショック)、さらに短期金融市場がパニックになった2019年9月のレポ・ショックを振り返ってみます。

バーナンキ・ショック

2013 年 5 月 22 日、ベン・バーナンキ議長が上下両院合同経済委員会において QE3 の縮小を示唆する発言をし、さらに 6 月 19 日の連邦公開市場委員会(Federal Open Market Committee: FOMC)終了後の会見において、年内にも債券購入を縮小し始め、2014 年半ばには量的緩和を終了する可能性があるという踏み込んだ発言をしました。量的金融緩和の縮小(テーパリング)に対する懸念により、金融市場がかんしゃく(タントラム)を起こしたように混乱しました。2013年5月には、米連邦準備制度理事会(FRB)のバーナンキ元議長が市場の想定より早いタイミングで、金融危機以降実施していた資産購入規模の縮小を示唆しました。これにより、それまで大規模な金融緩和に支えられていた資金の流れが急激に変わり、長期金利の急騰や新興国市場からの資金流出による通貨安などが生じました。 景気重視の「超ハト派」と言われたバーナンキ氏が「QE縮小」について具体的かつ詳細に語るシーンに投資家は絶句しました。声明文で「QE継続モード」と考えた投資家にしてみれば、一瞬耳を疑う「変身」でした。株価はリーマン・ショック以来といわれるほどの急落となりました。第2波は同6月19日に起きました。6月のFOMC後の記者会見でバーナンキ氏は「これはシナリオであり、政策決定ではない」と断ったうえで「later this year(今年後半)には資産購入ペースを減速させ、慎重にだが段階的に来年前半は資産購入減額を継続して、来年半ばごろに終了」と具体的なスケジュールを明らかにしました。しかも、経済見通しの下振れリスクについて「diminished(減った)」というこれまで使わなかった単語で明確に表現したので、FRBは楽観的との印象を市場に与えました。緩和縮小の前提条件である米国経済の持続的回復について強い自信を示したわけです。 当時、米連邦公開市場委員会(FOMC)が四半期ごとに公表しているドット・チャート(メンバーが予想する政策金利の予想分布)では、2015年12月までに3回の利上げが予想されていました(2013年3月時点)。しかし、「バーナンキ・ショック」と呼ばれるこの『テーパータントラム』を受けてFRBは金融市場との対話に苦心することとなり、実際の初回利上げは2015年12月の会合まで後ろ倒しとなりました。

米金融緩和の新興国への影響

リーマン・ショック時、グローバル投資家のリスク回避姿勢が急激に強まるなかで新興国通貨が大きく売られました。2008 年後半から 2009年にかけて、世界経済は景気の急減速に見舞われましたが、各国当局が迅速かつ大規模な金融緩和等で対応したことが功を奏し、景気の落ち込みと新興国通貨を含むリスク資産の売りは当初懸念されたほどは長く続かず、2009 年3月をボトムに反発に転じました。 その後、2009 年 10 月に発覚したギリシャの債務問題を機にユーロ危機が発生すると、新興国通貨は相対的に安全な資産と見なされ、多くの投機資金が流れ込みました。特に 2010 年から 2012 年にかけては、新興国の資産市場に大量の資金が流入し、新興国通貨が高値圏で推移することになりました。 しかし、2013 年 5 月、6 月のバーナンキ発言はこの流れを逆転させました。2013 年 5 月 22 日、ベン・バーナンキ議長が上下両院合同経済委員会において QE3 の縮小を示唆する発言をし、さらに 6 月 19 日の連邦公開市場委員会(Federal Open Market Committee: FOMC)終了後の会見において、年内にも債券購入を縮小し始め、2014 年半ばには量的緩和を終了する可能性があるという踏み込んだ発言をしました。 その影響は米国や日本のみならず、新興国市場にまで及び、特に「フラジャイル・ファイブ(Fragile Five:脆弱な5ヵ国)」と呼ばれたブラジル、インド、インドネシア、トルコ、南アフリカなどの通貨が大きく下落することになりました。 下記一覧表はこの時期のフラジャイル・ファイブのファンダメンタルズを比較したものです。2012 年末から 2013 年末にかけての為替レートの下落率は、フラジャイル・ファイブが 13.0%~26.0% でした。対外債務/GDP、短期債務/外貨準備経常収支、財政収支、インフレ率について、それぞれに理由はあるにせよ、は増加傾向にありました。世界のリスクテイカーによる資金引き上げは大きく新興国通貨の為替相場に影響しました。
表:フィラジャイル・ファイブのファンダメンタルズ
※注為替変化率:対ドルでの変化率なので、実際には+の数字だけ自国通貨は下落したことを意味します。

為替、株式への影響

・S&P500株価指数は、5月22日始値1669から5月25日まで1573と6%下落。 ・2013年5月23日の日経平均は1143円安(始値15740から14483まで下落)6月19日に12455で底打ち。 ・外国為替市場で新興国通貨が大きく下落。 ・MSCI新興国株指数は1カ月間あまりで約16%下落。 なお、その後、市場は持ち直し、バーナンキFRB議長も発言に慎重となり、また市場との対話を重視したことにより、2014年10月のFOMCでQE3の終了が決定された際には大きな混乱は生じなかった。

レポ・ショック2019年9月

2019年9月半ばに複数の要因が重なり、米金融システムで資金需給がひっ迫しました。法人税納付期限を迎え、同時に直近の国債入札の決済日でもあったため、銀行が米国債に資金を移した結果、彼らがFRBに置いている超過準備が2011年以降で最低水準になりました。 このためレポ市場の借り入れ需要は、出し手が通常の金利水準である2%近辺で提供できる規模を上回り、9月11日には、レポ金利が10%まで跳ね上がりました。市場ではJPモルガンが資金をレポ市場に出さなかった(FRBの規制により)ことでスクイーズが起こったとうわさがありました。その時点で、ニューヨーク連銀が市場安定化に乗り出してきました。 ニューヨーク連銀は、JPモルガンJPM.NやシティグループC.Nといったプライマリーディーラーに対して、質の高い債券と引き換えに毎日数十億ドルを供給し、プライマリーディーラーが貸し出せる資金量を増やしました。FRBの資金供給はややタイミングが遅れ、やり方もぎこちなかったとはいえ、金利を通常レベルに下げることに寄与しました。10月になっても毎日数十億ドルの供給を続けており、11月初めまで1日当たり最低750億ドルを翌日物レポ市場に注入すると発表しています。 2008年以前は、FRBは主として債券買い切りや債券の買い戻し条件付き売却(レポ)、売り戻し条件付き購入(リバースレポ)といった公開市場操作(オペ)を通じて、短期金利をコントロールしてきました。目標は、銀行間翌日物取引の指標であるフェデラルファンド金利をFRBの誘導範囲に収めることでした。 この仕組みが機能したのは、FRBのバランスシートが1兆ドル未満と小規模だったからです。負債サイドの大半は貨幣流通高で、超過準備はごくわずかでした。ところが危機後に導入したQEでバランスシートが一時約4兆5000億ドルまで膨張。資産の急増に沿う形で、貨幣流通高とともに超過準備も巨大化しました。 超過準備が微小だった際には、その規模をコントロールすれば短期金利の操作が可能でした。しかし危機を経て超過準備が非常に大きくなった段階で、FRBは調節方法の変更を迫られ、今や主な手段は超過準備に適用する付利(IOER)と、リバースレポ・オペの金利となり、2つを通じて短期金利に下限を設定しています。 パウエルFRB議長は、危機対応型の政策運営モードから脱却するため、バランスシートを縮小させる取り組みを進めてきた矢先でした。過去10年で貨幣流通高が倍増して1兆8000億ドルに達したこともあり、危機前の水準に戻る流れではなかったとはいえ、5年前のピークからこの夏までに3兆8000億ドル弱へと圧縮されていました。同じ期間で超過準備はおよそ半減して1兆4000億ドルを下回りました。 そして9月のレポ市場の混乱からは、そろそろ安定的な短期資金の取引を維持する上で、限界が迫ってきたことがうかがえました。だからこそパウエル議長は、また超過準備を増やしました。 こうした短期金融市場の混乱から、米株式市場では、S&P500株式指数は、10月1日の2925から12月24日には2351まで(-19.6%)下落しました。同期間、日経225指数は、24245から19156まで下落(-21%)しています。日本の株式市場は、米国の株式市場をほぼ模倣しています。アメリカでの金融不安は、アメリカのみならず、世界中に影響します。 FRBは、2022年に金融引き締めに政策を大きく舵を切っています。毎年、年末は、ヘッジファンドだけでなく、邦銀や新興国の銀行の米ドル資金繰りに注目が集まります。米銀は年末の決算越えのため短期ドル資金の供給を控えます。 米ドルの短期資金を受けられない場合、主な資金調達手段となっているレポ市場に圧力がかかります。通常邦銀が米国債投資をする際には、保有している米国債を担保としてレポ市場に出して短期米ドル資金を調達しています。 円投と呼ばれる、円売り・米ドル買いの為替ポジションは通常取りません。なかには、為替リスクをとっている大手機関投資家もいます(生命保険会社や投資信託)が稀です。また為替市場でのスワップ取引により、短期米ドル資金を調達しているところもあります。毎年年末は緊張が走ります。短期金融市場にも注意が必要です。 米長期金利(2年~10年)が上昇すれば、保有している米国債の価格下落によって、評価損が発生します。通常、2割目減りすれば、(機関投資家であれば1割安でも)ロスカット水準になり売らざるを得なくなります。10年国債は4月以降で1.5%利回りは上昇しています。債券価格では約12%値下がりしています。 イールドカーブが逆転しているため、フォワード取引によるドル売りヘッジをした場合、そのポジションはネガティブキャリー(持つだけ損失)となってしまいます。そうしたポジションも含め、現状の為替市場は非常に危うい状況といえます。2006年から2007年にかけて、日本の金融政策はFRBの呼応する形で利上げに動きましたが、2008年に何が起こったかは皆さん記憶にあると思います。

世界金融危機(リーマンショック)

世界金融危機(Global Financial Crisis)とは、2007年9月から顕在化したサブプライム住宅ローン危機を発端とした連鎖した一連の国際的な金融危機です。これが引き金となり、グレート・リセッションがもたらされました。 1970年代のアメリカから、住宅ローンの証券化が始まりました。これは地域金融の弱点である各地域のリスクを補うために考えられ、国策会社である政府支援機関(GSE)によって進められました。銀行は地域のリスクから守るために住宅ローンを証券化してGSEに売った。GSEは証券化された住宅ローンを買うために、プールした住宅ローンを担保にしてモーゲージ債券として市場に柳津させました。これが不動産担保証券(モーゲージ債:MBS)であり、GSEに多大な利益をもたらしました。 質の低いローンを証券化する方法としてトランチングが考案され、CMOとして新たな証券化商品も生まれました。トランチングとは、住宅ローンを細分化し、リスクが異なる債券に分けてローンに対する優先順位を定める方法を指す証券化に手法です。トランチングが繰り返されて大量のCLOが作られ、安全な証券として投資家に販売されました。格付け機関も保証してリスクが低いと考えられていましたが、実際には質が低くリスクの高い住宅ローン(サブプライム・ローン)から作られていることもありました。 エンロンが2001年に粉飾決算で破綻したのちに金融機関への規制強化が検討されましたが、実施されませんでした。規制が強化されなかったため、シャドー・バンキングが急拡大しました。シャドー・バンクは、マネー・マーケット・ファンド(MMF、特別目的事業体(SPV)、資産担保コマーシャルペーパー(ABCP)、投資銀行等のレポ取引、ヘッジファンド、証券会社、証券化商品発行体、そして個人向けのファイナンス・カンパニーなども含まれます。 監督や規制を受ける銀行に属さないないために、リスクの高い取引が拡大しました。ITバブル崩壊以降の低金利政策と、シャドー・バンキング・システムを通じた証券化を促進する規制緩和が相まって、サブプライムローンを中心とした信用拡張が行われいきました。 サブプライムローンでは、契約内容を理解できていない借手に対して、返済能力を無視した貸付が横行していました。これらは略奪的貸付やニンジャ・ローンとも呼ばれて問題となっていましたが、住宅価格が上昇する環境では警鐘はかき消されていました。 2000年以降、2006年にかけてアメリカでは住宅ブームが生じ、低利の2段階変額ローン(ARM:期間限定短期金利連動ローン)により募集された不動産担保ローンが大量に組成されました。この住宅ローンの個別債権は、欧米の主要銀行がSPVなどを利用してMBSに証券化してヘッジファンドや機関投資家に投資家に販売していました。格付け機関のムーディーズやスタンダード&プアーズ(S&P)はMBSにトリプルAの格付けをして信用を与えていましが、これらの格付け機関は選出基準が不透明でした。同時期、新しい金融商品としてクレジットデリバティブ(CDS)を利用した債務担保証券(CDO)などの金融商品が多く販売されました。 モーゲージ債と同じようにトランシングを行い、優先部分については、AAAの格付けが付与されていました。中には、証券化商品をさらに束ねたCDOスクエアーなる証券化商品まで発行される事態になっていました。 2004年6月30日の連邦公開市場委員会(FOMC)から政策金利は引き上げに転じました。2006年から住宅価格のかげりが見え始め、不動産担保証券の貸し倒れリスクが注目され始めました。サブプライムローンの債務者の一部は住宅価格の上昇を見込んだ返済計画を建てていたため、住宅価格低下の影響で利払い延滞率が急増し始めました。債務者の延滞が顕著になると、サブプライムローンの直接の貸し手である住宅金融専門会社に対する金融機関の融資が慎重になり、住宅金融専門会社では資金繰りが悪化して経営破綻が出始めました。 多くのサブプライムローンは貸し倒れの危険を分散させるために証券化されて金融商品に組み入れられていたため、金融商品そのものに対する信用リスクが連鎖的に広がりました。2007年1月から不動産担保ローンの破産が顕著になり、5月にはスイスのUBS銀行がディロン・リード・キャピタルマネジメントを閉鎖しました。6月の時点で債務担保証券(CDO)はryy動静がなくなっていきました。7月には、特別目的事業体(SPV)を通じてCDO等に投資していたIKB ドイツ産業銀行が公的支援を受けました。8月はドイツのNRW.BANKによる支払い停止や、フランスのBNPパリバによる3つのファンド凍結などが相次ぎました。 BNPパリバが「アメリカ証券市場の一部で流動性が消滅したため、一部の資産評価が不可能になった」という声明を出すと危機の認識が広まり、欧州でも住宅価格が急落しはじめました。 サププライムローンが下落を続けたにもかかわらず、アメリカの大手投資銀行はサププライムローンから作られたCDOの販売を続けました。というよりも続けざるを得なかったというほうが正しいでしょう。資産担保証券(ABS)も価格を下げて国際流動性を失い、これを担保とする資産担保コマーシャルペーパー(ABCP)の借換発行もむずかしくなりました。 ABCPを簿外勘定に出していた銀行は、流動性を失ったABCPを保有することになった。銀行とFRBは事後的な信用創造にはげみ、そこでうまれた預金通貨は機関投資家によってマネー・マーケット・ファンド(MMF)やレポ債権に転換されました。ヨーロッパ系銀行は危機発生に先立つ数年間、100以上のSPVの直接または間接のスポンサーになっていました。これらのABCPは数千億ドル規模のABSをアメリカ市場で販売していました。その流動性が2007年8月に失われると、償還するためにヨーロッパ系銀行は在米支店からドル資金を調達しました。短期金融市場で調達された資金を引き揚げられて、シャドー・バンキングは脆弱性を露呈しました。 アメリカを中心として会計基準には時価評価主義が採用されており、サブプライム危機が短期間で拡大する一因ともなりました。時価評価では、金融資産の減価は自己資本減少と機関投資家が発行する証券化商品の評価に直結するので、その金融証券化商品を保有する企業が発行する金融証券化商品も減価となり、負の連鎖が拡大しました。 2008年になると、耐久消費財や自動車の支出下落、大量解雇も起きており、ヨーロッパでも影響が出始めました。2008年3月にベアー・スターンズの経営危機が明らかになると、金融危機が世界的に報道され始めた。9月に入って、政府支援機関(GSE)のフレディマックとファニーメイが実質的破綻に陥り、9月15日にはリーマン・ブラザーズが連邦倒産法第11章適用を申請し、負債総額6390億ドル(約64兆円)というアメリカ史上最高額の経営破綻につながりました。 バンク・オブ・アメリカによるメリルリンチの買収、CDSの主要な出し手であった保険会社アメリカン・インターナショナル・グループ(AIG)の経営危機が流れると政府が救済に動き国有化しました。この時、投資銀行は銀行に鞍替えを行いFRBの直接規制を受けるようになりました。CDSの売り手となっていた金融持株会社、投資銀行、保険会社、ヘッジファンドなどは、短期金融市場からの資金調達を金利の急騰に阻まれました。ヨーロッパ系銀行もドル建て流動性資金について同じ境遇であり、新興国経済から資金を引き揚げた。この資金引き揚げによって、中欧・東欧・南欧にも金融危機が波及しました。 2008年第2四半期から2009年第1四半期には、世界の資本移動の90%が消滅し、富裕国の資本移動は17兆ドルから1.5兆ドルへと減少しました。2009年第2四半期は、IMFにGDP統計を提出している60カ国のうち52カ国でGDPが縮小しました。サプライ・チェーンが同期しているためにアメリカやヨーロッパの需要減少は各国に波及し、世界貿易機関(WTO)が統計を取る104カ国の全てで輸出入が減少しました。原油価格は76%下がり、産油国で財政赤字が続出しました。まさに100年に一度の金融危機となりました。
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